海外では脱マスクが進む。日本は他人の目を気にし、周囲に合わせる。教師が教育過程で植え付けられているのが影響か、教師の無知のせいだろうか。子供たちが犠牲になりかわいそう。私見だが、最後の砦は参政党。


1 ボラえもん ★ :2022/05/29(日) 10:12:48.29

 新型コロナウイルス感染拡大を機に始まった「新しい行動様式」。マスク着用の生活も3年目に突入している。
一方で海外では「脱マスク」の動きも進みつつあり、日本でもテレビ番組の街頭インタビューなどで「いつマスクを外すのか」といった問題が取り上げられるようになった。
その際の回答では、「周囲に合わせる」といった“様子見”も目立つ。このように日本では「他人の目」が行動を制限するケースは少なくない。

 そんななか、「周りの目を気にして、自分の行動が制限されるのはおかしい」と述べるのはネットニュース編集者の中川淳一郎氏だ。
同氏は、自身がこうした考えを持つようになった背景には、アメリカで過ごした中学・高校時代の教育が影響しているのではないか、と自己分析する。
中川氏が、自身の経験をベースに、日米の学校教育の違いについて考察する。

 * * *
 私は正直、なにかと「海外ではー!」と海外がいかに日本よりも優れているかを喧伝する「海外出羽守(かいがいでわのかみ)」は好きではありません。
しかし、今回の「マスクをいつ外すか?」の判断に見られるように、「みんなが外したら」といった“日本風”の考え方には、かなり違和感を覚えます。
本質的には、自分が必要だと思えば着ければいいし、不要だと思ったら外せばいい。

 私のような意見に対して、「全体の輪を乱す」と思う人もいるかもしれませんが、「みんながやってるから、私もやる」という考え方で、本当に幸せなのでしょうか? 
そして、そうした“周囲に同調すること”を最優先にする考え方は、学校教育を受ける過程で植え込まれているのではないか、と感じます。
同調とはやや種類が異なりますが、学校生活での「連帯責任」も考え方は近いものがあります。

 例えば私が中学1年生の時所属していた卓球部では、遅刻する1年生がいたら、2年生の命令で1年生全員が近くにある市民体育館のランニングコース(約400m)を20周させられました。
さらに「1年生は2学期まではラケットを握らせない。基礎体力をつける訓練だけしろ」と、走ったり腕立て伏せをしたりさせられるばかりでした。

 今考えると、なんで2年生はあんなにエラソーだったのか全くわからないのですが、1年生は全員、黙って2年生の方針に従いました。
「空気を読めない奴」認定されるのを避けたいため、異議を呈せないのです。

■アメリカでは「基本的に自由だが本当に悪いことをしたら処罰」
 私はその後、中学後半から高校時代をアメリカで過ごすことになるのですが、アメリカで出会った学生たちは、
誰も“人がやっているから自分もやる”という考えは持っていなかった印象で、個人的には大変過ごしやすい価値観でした。

 こうした考え方の違いは、やはり日米の学校教育の違いから生じている面が多そうです。
どちらにもいい面、悪い面があると思いますが、私が通ったアメリカの中学・高校と一般的な日本の学校生活の違いについて実例を並べてみましょう(アメリカの例はあくまで30数年前、私の体験ベースです)。

●主な学校行事
【日】入学式・始業式・終業式・定期試験・夏休みの宿題・遠足・修学旅行・社会科見学・体育祭・文化祭・合唱祭・授業参観・卒業式
【米】ホームカミングパーティー(ダンスパーティー、任意参加)・プロム(ダンスパーティー、任意参加)・試験(不定期)・体育(スポーツは選択制)・遠足・卒業式

●部活
【日】ほぼ全員参加
【米】自由参加。スポーツの場合、秋・冬・春で異なる部活に参加し、自分の得意分野を把握する

●規則
【日】基本的に制服。その他「茶髪禁止」「買い食い禁止」等多数
【米】服装は基本自由(ただし、タバコないしは酒類のブランドのロゴが入っていたら裏返させられる)。
学校では「銃器・刃物を持ってくるの禁止」「授業中の退出禁止」「ドラッグ持ち込み禁止」

●連帯責任
【日】あり
【米】個人の問題であり、他の生徒はお咎めなし

(以下ソース)
https://news.yahoo.co.jp/articles/053da1cc52c5670df23516cbbfa509a7e0f861cb?page=1


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